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「自由」(Liberty, Freedom)

橋本努

森村進編『リバタリアニズム読本(仮題)』勁草書房、2005年、所収

 

 

 一般に、フリーダムとしての自由は文化や経済の領域で語られ、リバティとしての自由は政治や法の領域で語られることが多い。しかし両者は密接に結びついていると同時に、その意味は多義的である。

I・バーリンの有名な分類によれば、自由には「積極的自由」と「消極的自由」がある。積極的自由とは、「〜への自由」、すなわち自己支配としての自由であり、これには自己を律する「自律」の意味と、集団によって集団を律する「自治」の意味がある。これに対して「消極的自由」とは、「〜からの自由」、すなわち強制からの自由であり、これには他者の干渉からの自由と、自己の内なる強制状態(押さえがたい衝動や、自由を享受する能力の不足)からの自由という意味がある。バーリンはこの二つの自由概念のうち、消極的自由のほうを支持した。なぜなら、「消極的自由」の概念は悪用されにくいのに対して、「積極的自由」の概念は、歴史的にみて、全体主義や社会主義の政体における「集団支配の自由」へと転化する危険を伴ってきたからである。

ただしバーリンのいう消極的自由は、自由尊重主義を認めるものではない。というのもバーリンは、「自己の内なる強制状態からの自由」という意味での消極的自由(「自由を享受する能力」と言いかえることもできる)を実現するために、一定の福祉国家政策を承認するからである。これに対して自由尊重主義者は、「消極的自由」の概念をもっぱら「政府の強制からの自由」という意味で理解し、福祉国家政策に反対する。リバタリアンの社会においては「自己の内なる強制状態からの自由」は保障されない。例えば、一定の言語能力や運動能力を訓育することで「自由を享受する能力」を促進するという教育活動は、基本的に、親の負担ないし自発的な寄付金によって整備されることが望ましく、政府は関与すべきでないとみなされる。また自由尊重主義社会においては、「政府以外の他者からの自由」も十分に保障されることはない。例えば、世間の同調圧力や名誉毀損からの自由は、基本的に政府によって保障される必要はない。自由尊重主義は、社会における政府の機能を最小限に留めようとする。

消極的自由の概念には、しかし別の意味が二つある。一つは「あらゆる束縛からの自由」というユートピアな観念であり、E・フロムの名著『自由からの逃走』は、この意味での消極的自由を批判した。フロムによれば、人々は、前近代的とされる諸々の束縛から解放されて消極的自由を手にすると、孤独や不安にさいなまれ、自由を耐え難い重荷であると感じるようになる。そうなると今度は、かえって権威者への服従を求めるようになり、歴史的にみれば、そこから全体主義体制が生み出されたのであった。全体主義を防ぐためには、人々が「消極的自由を重荷と感じない社会」を築かなければならない。そこでフロムは、自律や自治としての積極的自由が重視されるべきだと考え、社会主義や福祉国家の体制に共感を寄せたのであった。

 「消極的自由」概念のもう一つの意味は、社会における偶有性と複雑性の増大を担うこと、あるいはそれを受け入れることである。例えば、活動のルーティン化や官僚化やオートメーション化を逃れて、新たな営みを開始することは、その能動性において積極的ではあるが、集団組織の編成を掘り崩す(ないし逸脱する)という点で消極的自由の理念に適っている。同様に、権力の一極集中に抗して、権力分散型の社会を築くこともまた、人々の活動の積極性を促すと同時に、消極的自由の理念を促進する。これらの自由は、積極的であると同時に消極的な自由であるから、消極的自由の範疇に入れることはできないかもしれない。ここではそれぞれ、「創造型の自由」と「参加-闘技型の自由」と呼んでおこう。

創造型の自由とは、文化レベルでは新たな意味の創造や個性化を試み、政治レベルでは官僚主義に代替するシステムを求め(大統領制や草の根運動)、経済レベルでは企業家精神を発揮するものである。これに対して参加-闘技型の自由とは、権力の集中に抗しつつ、討議や闘技(競争)にもとづく分権的な組織運営を通じて、支配-被支配関係を平準化していこうとする。地方分権化、分社化、民営化、公開討議、などの理念がこれに含まれる。創造型と参加-闘技型の自由は、一極集中的な権力の作用を抑止する点で共通するが、しかし必ずしも政府規模の縮小を要求するわけではない。

 これに対して一般に「消極的自由」を擁護する人は、政治的自由よりも経済的自由を優先すべきであると考える。例えば、バンジャマン・コンスタンは、「古代人の自由(ポリスにおける政治的討議への参加)」と「近代人の自由(政治以外の領域における個人の精神の充足)」を区別して、後者の自由を擁護する。コンスタンによると、近代社会においては、人々は奴隷をもたないがゆえに時間的余裕がなく、また国の面積が広く人口も多いので、市民一人一人の政治的重要性が低下する。それゆえ近代の市民は、もはや政治的参加という営みに人生の主要な価値を見出すことができない。そこでコンスタンは、商業を通じて私的幸福を得るための手段を多様化させたり、諸国民相互の交流を深めたりすることが、政治の大きな目標となると主張したのであった。

 なお、中世における自由(liberal)概念は、自由民の階級区分を表すものであり、「教養(liberal arts)」とは、そうした自由民に相応しい学芸を意味した。15世紀になると、リベラルとは臣民の特権ないし許可を意味する言葉となり、17世紀には「心の広い」という意味で、18世紀には「正統でない」という意味で、それぞれ用いられるようになる。19世紀初頭になると、「心の広い(寛容な)」という意味から「自由主義」という言葉が生まれる。しかし「リベラル」という言葉は、保守主義と社会主義の両方の立場から軽蔑語として用いられた。いずれの陣営も、この言葉には、抑制と規律の欠如という意味と、軟弱で感傷的な寛大さの意味があると批判した。他方で「リベラル」という言葉は、ブルジョア資本主義社会において、支配層が抱く特有の観念形態であるという考え方が広まった。しかし20世紀後半になると、マルクス思想の後退とともにこうした通念は衰え、反対に「リベラル」という概念は、近代社会の正統性を根拠づける中核的な理念として用いられるようになる。

 「自由」という概念にはこの他に、知的先導、解放、貧困の克服、全能感、エゴの克服、放任、規範侵犯、必然性の認識、失うものが何もない状態、非人格的関係の維持とそのためのルールおよび象徴的権威の承認、支配者の流動化、自己の多元化、試行錯誤、複数所属、自己決定、などのさまざまな意味があり、こうした自由を実現するための「条件」(例えば自己責任)もまた自由と呼ばれることがある。自由の対立概念についても、無自覚、抑圧、貧困、疎外、欲深さ、禁止、威圧、独裁、一元性、通俗さ、教条性、保守性、自閉、機械的操作、他者依存、受動的活動、などいろいろある。それゆえ、ある自由を促進すれば、別の自由が制約されることにもなる。しかし自由は、社会関係の中においてはじめて可能になるのであり、「人は生まれながらにして自由である」と言われる場合にも、幼児に戻れば自由になるというのではなく、人間の自発的な社会的活動のうちに、不自由な社会を克服する契機が求められている。